1941−1954

第1期 創成期

大成機工株式会社のはじまりは、1941年(昭和16年)に矢野信吉がセールスエンジニアとして創業した「大同工業所」にある。そのモットーは、“顧客第一主義の徹底”で成長!太平洋戦争を経て、戦後の焼け野原になった大阪で再興、社名を大同産業社、大同機工株式会社に変更を経て、1954年に大成機工株式会社となる。「特殊割継輪」「水道管洗滌機」「漏水防止金具」などを開発する。

第1期 創成期(1941-1954)
大成機工株式会社のはじまりは、1941年(昭和16年)に矢野信吉がセールスエンジニアとして創業した「大同工業所」にある。そのモットーは、”顧客第一主義の徹底”で成長!太平洋戦争を経て、戦後の焼け野原になった大阪で再興、社名を大同産業社、大同機工株式会社に変更を経て、1954年に大成機工株式会社となる。「特殊割継輪」「水道管洗滌機」「漏水防止金具」などを開発する。

1955−1959

第2期 胎動期

「バネ鋼製羽根」ブラシを独自に開発するなど水道管のパイプクリーニング事業が好調。自社製品「漏水防止金具」や「特殊押輪」の開発、製品の高い評価により大阪市の水道局の標準仕様となった。
地中に埋設された石綿管の折損箇所を切り取らずに修理できる継ぎ手として「エースジョイント」を開発し、特殊継ぎ手メーカーとして広く認知される。

第2期 胎動期(1955-1959)
「バネ鋼製羽根」ブラシを独自に開発するなど水道管のパイプクリーニング事業が好調。自社製品「漏水防止金具」や「特殊押輪」の開発、製品の高い評価により大阪市の水道局の標準仕様となった。
地中に埋設された石綿管の折損箇所を切り取らずに修理できる継ぎ手として「エースジョイント」を開発し、特殊継ぎ手メーカーとして広く認知される。

1960−1969

第3期 飛躍期

水道インフラは破損、漏水事故も多く、大成機工の製品ニーズはますます高くなった。鋳鉄管用の継ぎ手として新しい「ヤノジョイント」を開発し、管路維持メンテナンスメーカーとして製品および工法に注力していく。そして60年代に水道業界で主流だったネズミ鋳鉄の製品から、強度の増すダクタイル鋳鉄を使った製品にいち早く切り替えた。高い品質と安全性を追求するためであった。

第3期 飛躍期(1960-1969)
水道インフラは破損、漏水事故も多く、大成機工の製品ニーズはますます高くなった。鋳鉄管用の継ぎ手として新しい「ヤノジョイント」を開発し、管路維持メンテナンスメーカーとして製品および工法に注力していく。そして60年代に水道業界で主流だったネズミ鋳鉄の製品から、強度の増すダクタイル鋳鉄を使った製品にいち早く切り替えた。高い品質と安全性を追求するためであった。

第4期 第二の飛躍期

水道管だけでなくガス管路関連の製品も手がける。また海外のメーカーとの提携、ヨーロッパの水道技術の導入に取り組み、先進的なソフトシール弁に関してオーストリアのハヴレ社とライセンス契約を結ぶ。また自社製品では断水させることなく配水管路の移設を容易にした「ヤノ・ストッパー」を開発。さらに世界初の「インサートバルブ工法」を開発し、複数の特許も取得した。

1970−1979
第4期 第二の飛躍期
(1970-1979)
水道管だけでなくガス管路関連の製品も手がける。また海外のメーカーとの提携、ヨーロッパの水道技術の導入に取り組み、先進的なソフトシール弁に関してオーストリアのハヴレ社とライセンス契約を結ぶ。また自社製品では断水させることなく配水管路の移設を容易にした「ヤノ・ストッパー」を開発。さらに世界初の「インサートバルブ工法」を開発し、複数の特許も取得した。

1980−1990

第5期 上昇期

西日本の営業拠点を拡充し、全国にネットワークを構築する。競合他社との特許紛争の苦い経験から実用新案や特許、工業所有権の取得をすすめ、自社ブランドを意識して製品開発に取り組んだ時期でもある。軟弱地盤でも伸縮、屈曲、離脱防止に優れた継ぎ手の「タイ・フレックス」や、不断水で伸縮可とう管を設置できる「インサートフレックス工法」も開発された。

第5期 上昇期(1980-1990)
西日本の営業拠点を拡充し、全国にネットワークを構築する。競合他社との特許紛争の苦い経験から実用新案や特許、工業所有権の取得をすすめ、自社ブランドを意識して製品開発に取り組んだ時期でもある。軟弱地盤でも伸縮、屈曲、離脱防止に優れた継ぎ手の「タイ・フレックス」や、不断水で伸縮可とう管を設置できる「インサートフレックス工法」も開発された。

1991−2000

第6期 転換期

バブル経済崩壊を迎える中でも、ロシア、シンガポールなど海外での施工実績を重ねる。1993年には日タイ友好親善のために来日したタイ王国のシリキット王妃陛下が関西を訪問した際、矢野信吉が歓迎昼食会のホスト役を務めた。1995年、阪神・淡路大震災の発生に際しライフラインの復旧、救援に尽力する。同年9月、創業者の信吉が死去し転換期を迎える。2000年「不断水インサートバルブ工法」で、世界最大2200ミリを施工し、ギネス認定された。

第6期 転換期(1991-2000)
バブル経済崩壊を迎える中でも、ロシア、シンガポールなど海外での施工実績を重ねる。1993年には日タイ友好親善のために来日したタイ王国のシリキット王妃陛下が関西を訪問した際、矢野信吉が歓迎昼食会のホスト役を務めた。1995年、阪神・淡路大震災の発生し際しライフラインの復旧、救援に尽力する。同年9月、創業者の信吉が死去し転換期を迎える。2000年「不断水インサートバルブ工法」で、世界最大2200ミリを施工し、ギネス認定された。

第7期 新生期

東京水道局と共同研究で「耐震形割T字管ヤノ・フレックスT字管TⅡ型」を開発し、さいたま市とは「スマートラインSET型」の共同開発を行った。名古屋市では口径1800ミリの「タイ・フレックス」を敷設し、記録と記憶に残る工事を実施。また、2011年3月11日、東日本大震災が発生し大阪本社では直ちに災害対策本部を設置し、現地と連携してライフライン復旧に必要な資材や救援物資の供給を行った。

2001−2011
第7期 新生期(2001-2011)
東京水道局と共同研究で「耐震形割T字管ヤノ・フレックスT字管TⅡ型」を開発し、さいたま市とは「スマートラインSET型」の共同開発を行った。名古屋市では口径1800ミリの「タイ・フレックス」を敷設し、記録と記憶に残る工事を実施。また、2011年3月11日、東日本大震災が発生し大阪本社では直ちに災害対策本部を設置し、現地と連携してライフライン復旧に必要な資材や救援物資の供給を行った。

第8期 新たな歩みから始動

経営陣の刷新をはかり、人材養成プログラムなどで組織の効率化をすすめる。技術開発に力を入れ直すとともに、東京では新拠点となる東京工場を新設。2018年には「第2回インフラメンテナンス大賞」を受賞。「不断水で設置可能な継手部補強金具による既設管の地震対策」が厚生労働大臣賞に選ばれたのである。研究会での発表や産官学連携の取り組みなどが成果となってきた。2021年には、創業80年を迎え、社員一丸となって100年企業へ歩みをつづけている。

2012−2021
第8期 新たな歩みから始動
(2012-2021)
経営陣の刷新をはかり、人材養成プログラムなどで組織の効率化をすすめる。技術開発に力を入れ直すとともに、東京では新拠点となる東京工場を新設。2018年には「第2回インフラメンテナンス大賞」を受賞。「不断水で設置可能な継手部補強金具による既設管の地震対策」が厚生労働大臣賞に選ばれたのである。研究会での発表や産官学連携の取り組みなどが成果となってきた。2021年には、創業80年を迎え、社員一丸となって100年企業へ歩みをつづけている。